北鎌倉にある鎌倉五山第一位の巨刹、建長寺。その境外塔頭(たっちゅう)である圓應寺は、閻魔大王を始めとする十王像をお祭りしている寺院です。十王とは、亡くなった人が冥界において出会う十人の王のこと。もしかするとここ圓應寺は地獄の入り口なのでしょうか。早速行ってみたいと思います。
更新状況
- 2023年2月26日:点心庵へのリンクを設定
- 2022年12月10日:記事掲載
この記事の目次
圓應寺とは
圓應寺は、北鎌倉駅を出て徒歩およそ15分、鎌倉を代表する大寺院である建長寺入り口と道路を挟んで向かい側にある小さな寺院です。山号は新居山(あらいざん)、1250年(建長2年)、知覚禅師により創建され、閻魔堂または十王堂とも呼ばれています。
圓應寺はもともと鎌倉大仏の近く、甘縄神明神社の背後付近にありましたが、足利尊氏が由比ヶ浜に移築し、その後1703年(元禄16年)に起きた大地震により堂が大破し、現在の地に移されたといいます。
鎌倉市内を流れる滑川(なめりがわ)は流れる地域によって別名があります。かつて由比ヶ浜に閻魔堂があったことからこの付近の滑川は「閻魔川」とも呼ばれています。
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圓應寺は、鎌倉十三佛(五番札所・地蔵菩薩)、鎌倉二十四地蔵(七番札所)などの鎌倉霊場、鎌倉名所巡りの対象地にもなっています。
圓應寺にお参りしよう
建長寺駐車場入り口付近で横断歩道を渡り少し道路沿いを歩くと、圓應寺入り口の階段があります。この階段を登り、受付で拝観料を払って境内に入ります。本堂にお参りする前に、まずはお線香をあげるのも良いかもしれません。
本堂手前で目を引くのは、2本のキンモクセイの巨木です。10月ともなるとたくさんの花をつけ、秋を感じさせる香りを放ちます。
圓應寺本堂にあふれる空気を感じる
圓應寺の本堂に入ります。本堂内は薄暗く、正面の閻魔大王を中心にした十王たち囲まれ、本堂の外とは空気が違うように感じられます。地獄の入り口とはこんなところなのでしょうか。
十王とは
この十王信仰はわが国では平安時代末期から盛んになり、鎌倉時代には広く行われていたといいます。
亡者はまず初七日の秦広王(しんこうおう)、二・七日の初江王(しょこうおう)、三・七日の宋帝王(そうていおう)、四・七日の五官王(ごかんおう)によって生前の罪を取り調べられます。その結果により五・七日(三十五日)の閻魔大王が、六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)のどこに生まれ変わるかを決定します。 -現地案内パンフレットより(一部改変)-
三つの名を持つ閻魔大王
圓應寺の本尊である閻魔大王坐像(国指定重要文化財)は、仏師運慶の作と伝わります。言い伝えでは、運慶が瀕死の状態となった際に閻魔大王の前に引き出され、閻魔大王は運慶に対し次のようなことを言いました。
「お前は生前に物を惜しみ欲深かった罪で本来ならば地獄に墜ちるべきところであるが、私の姿を彫像し、その像を見た人々が悪いことをせず、善の道に進むのならば、お前を生き返らせよう」
現世に生き帰った運慶は、閻魔大王の言葉を思い出し、その姿を彫刻したとされています。
笑い閻魔
そのほか、山賊から赤ん坊を守るために赤ちゃんを飲み込んだことから「子喰い閻魔」、その後赤ん坊が無事に成長したことから「子育て閻魔」とも呼ばれています。
そのほかの十王たち
初江王坐像(国指定重要文化財)は、胎内銘により1251年(建長3年)に、仏師幸有が造立したことがわかっています。鎌倉地方の仏像様式を代表する仏像ですが、鎌倉国宝館に寄託されているため圓應寺にはそのパネルが展示されています。
ほかにも、俱生神(ぐしょうじん)、鬼卒立像(きそつりゅうぞう)、人頭杖(じんとうじょう)(いずれも国指定重要文化財)が鎌倉国宝館に寄託されています。
奪衣婆坐像
奪衣婆坐像(だつえばざぞう・国指定重要文化財)には、1514年(永正11年)の弘円作の胎内銘があるといいます。
三途の川は葬頭河(そうずか)ともいわれるため、奪衣婆は葬頭河婆(そうずかのばば)ともいわれます。婆が剥ぎ取った亡者の衣服は懸衣翁(けんえおう)に渡し、かたわらにある衣領樹(えりょうじゅ)の枝にかけ、その枝のしなり具合で罪の軽重を定めるといいます。
本堂内にはそのほか、前述の引用部分に記載した秦広王、宋帝王、五官王や、変成王(へんじょうおう・六・七日・六道の中のどの場所に生まれ変わるかを決める)、泰山王(たいざんおう・七・七日(四十九日)・性別と寿命を決める)、平等王、都市王、五道転輪王(ごどうてんりんおう)の像があります。
鎌倉十三佛霊場 鎌倉二十四地蔵 延命地蔵
本堂に入って左手に、十王たちとは違った優しい面持ちの延命地蔵があります。
十王は、十仏の変化したものと捉えられ、十王のうち閻魔大王は地蔵菩薩の化身とされることから、圓應寺は鎌倉十三佛霊場の五番札所となっています。
また、この延命地蔵は人の死後、亡くなった人に代わり閻魔大王に対し「詫び言(わびごと)」を言ってその罪から救ってくれるというので「詫言地蔵尊(わびごとじぞうそん)」として信仰を集め、鎌倉二十四地蔵のひとつともなっています。
本堂入り口近くには、建長寺開山大覚禅師(蘭渓道隆)の弟子であり、建長寺第九世でもある圓應寺の開山知覚禅師坐像(ちかくぜんじざぞう)が安置されています。
閻魔縁日
1月16日(大般若会)と8月16日(水施餓鬼会)は閻魔縁日。この日は地獄の釜のふたが開き、すべての餓鬼が解放される日とされ、餓鬼を地獄の苦しみから救うための法要が営まれます。
ご朱印
今回はご朱印はいただいていません。
鎌倉観光文化検定対策
鎌倉観光文化検定公式サイトに過去問の記載がある第12回(2018年度実施)以降の鎌倉観光文化検定(以下、「鎌倉検定」)2級および3級の出題の中から、圓應寺について、出題状況や傾向を検討します。※問題文は一部改変している場合があります。
2020年度・2021年度の鎌倉検定は中止となっていますのでご留意ください。
傾向と対策
圓應寺に関する出題は少なく、いずれも基本的なものにとどまっていて難易度は高くありません。
- 運慶が笑いながら彫ったことから像も笑っているように見えると言い伝えられる、圓應寺の本尊は何か。(第12回・3級)⇒正答:閻魔大王像
- 圓應寺で行われる閻魔縁日の別名は何か。(第13回・2級)⇒正答:水施餓鬼
祭り・行事について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを回答させる問題の選択肢として、圓應寺が出題されています。(第12回・2級)⇒閻魔縁日(圓應寺)-冬
また、芸術・文化について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを回答させる問題の選択肢としても、圓應寺が出題されています。(第12回・2級)⇒圓應寺-「初江王坐像」
圓應寺のまとめ
- 圓應寺は、北鎌倉から歩いておよそ15分、建長寺の向かいにある臨済宗建長寺派の小さな寺院
- 本堂には本尊の閻魔大王坐像を始めとした十王像がずらりと並ぶ
- 秋には境内のキンモクセイがその香りを放つ
いかがでしたでしょうか。圓應寺の概要についてひととおりまとめましたが、もしも気になるようでしたらお出掛けされてはいかがでしょうか。
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交通アクセス
北鎌倉駅から徒歩およそ15分
連絡先 | 新居山圓應寺 | 鎌倉市山ノ内1543 TEL:0467-25-1095 |
公式サイト | 圓應寺公式サイト |
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参考文献・関連サイト
- 鎌倉観光文化検定公式テキスト
- 鎌倉観光文化検定公式サイト(鎌倉商工会議所)
- 深く歩く 鎌倉史跡散策 神谷道倫著 かまくら春秋社
- 現地パンフレット