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黒くすすけても衆生を救う ~北条義時ゆかり 覚園寺~

北条義時ゆかりの寺覚園寺は、薬師堂ガ谷(やつ)と呼ばれる谷戸一帯にある寺院。境内は一部を除き撮影禁止、そして拝観する人も少なく、その境内は鎌倉の原風景をよく残しているといわれ、鎌倉の寺院の中ではもっとも幽玄かつ静寂な宗教空間といえます。

更新状況

  • 2023年7月30日:5月に出掛けた際に撮影した「北条の間」の写真と説明、奥の院の説明、第16回鎌倉検定3級の出題内容を追加しました。
  • 2022年1月7日:法華堂跡へのリンクを設置
  • 2021年12月4日:記事掲載

覚園寺とは

覚園寺は鎌倉駅から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスに乗車、終点「大塔宮」で下車して徒歩およそ10、鎌倉市二階堂にある真言宗の寺院です。山号は鷲峰山(じゅぶせん)、開山は智海心慧(ちかいしんえ)。1296年(永仁4年)、9代執権北条貞時が、元軍が再度襲来してくることのないことを祈り、北条義時が建立した大倉薬師堂を寺に改めたものです。

もとは真言・律・禅・浄土の四宗兼学でしたが、京都泉涌寺(せんにゅうじ)にならい、真言宗となりました。

北条義時による大倉薬師堂の建立

寺の前身である大倉薬師堂は、北条義時が1218年(建保(けんぽう)6年)、自分が見た夢によって建立したといわれています。

将軍源実朝の鶴岡八幡宮参詣に付き従った義時が、帰宅してまどろんでいるとき、夢に十二神将の戌神(いぬがみ)(伐折羅(ばさら)大将)が現れ、「来年の拝賀の日は実朝の供をするな」と告げられました。

この夢の告げを信じた義時は、薬師如来とその眷属(けんぞく・従者のこと)である十二神将を祭る堂を建立しました。この堂は大倉(大蔵)郷に属するため、大倉薬師堂と呼ばれました。

大倉薬師堂は歴代執権に深く信仰され、北条氏滅亡後は後醍醐天皇の祈願所となり、室町時代には足利氏の祈願所となりました。

管理人 sho
境内はとても静かで古都鎌倉の面影をよく残しているといわれています。
いつ来ても癒しの空間だね!
こん吉

覚園寺は、鎌倉十三佛、、鎌倉二十四地蔵(3番札所:黒地蔵(火焚き地蔵))などの鎌倉霊場、鎌倉名所巡りの対象地にもなっています。

覚園寺を散策しよう

覚園寺では、本堂薬師堂の拝観は決まった時間に住職が案内する形式をとっていました(下記黄色ボックス内参照)。

(2023年3月1日更新)定時の拝観案内を休止し各自で参拝する形式を継続し、覚園寺案内人による案内ツアーは事前の連絡・相談によるとのことです。

覚園寺公式サイト「今後の参拝のお知らせ」(PDF)へのリンク

平日:10時、11時、13時、14時、15時
土曜日、日曜日、祝日:10時、11時、12時、13時、14時、15時
【拝観休止期間】
荒天時、4月27日、8月1日から8月31日(黒地蔵縁日を除く)、12月20日から1月20日

紅葉の季節は拝観時間が延長されます。

2023年 覚園寺 紅葉特別参拝
期間:2023年11月20日~12月10日
拝観時間:9時〜19時

正門を入り愛染堂に参拝

覚園寺:正門

覚園寺:正門

大塔宮バス停から緩やかな坂の狭い道をゆるゆると10分ほど歩くと覚園寺の正門に到着します。

今回覚園寺を訪れたのは11月の下旬のこと。正門をくぐると、この時期に特別に行われている夜間拝観のための松明台があり、その向こうに紅葉が見えています。

覚園寺:正門内側の松明台

覚園寺:正門内側の松明台

覚園寺:紅葉

覚園寺:紅葉

その先にある建物は愛染堂です。愛染堂は廃寺となった旧大楽寺(だいらくじ)の本堂を移築したものといわれ、堂内にはいずれも大楽寺から移されたとされる木造愛染明王坐像、鉄造不動明王坐像、木造阿閦(あしゅく)如来坐像が安置されています。

覚園寺:愛染堂

覚園寺:愛染堂

試みの不動

愛染堂の鉄造不動明王坐像は、願行上人(がんぎょうしょうにん)が、大山寺(伊勢原市)の不動明王造立に先立ってお手本として鋳造したことから「試みの不動」と呼ばれています。

覚園寺:愛染堂の水鉢

覚園寺:愛染堂の水鉢

覚園寺北条の間

北条の間

北条の間

愛染堂に向かって右側の建物の入り口に北条氏の家紋である三つ鱗が描かれた暖簾が架かっているので中に入ります。

ここは「北条の間」といい、内部には戌神将のパネルや顔出しパネル、鎌倉時代の衣装がなどがあり、自由に写真撮影を楽しむことができます。

北条の間:戌神将のパネル

北条の間:戌神将神のパネル

北条の間:戌神将の顔出しパネル

北条の間:戌神将の顔出しパネル

屋外にあるパネル

屋外にあるパネル

拝観受付から境内へ

拝観料を納めて境内に入ります。境内には要所要所に拝観順路の案内板があるので迷うことはありません。拝観受付でもらったチラシを手に進みます。

拝観受付から先は写真撮影禁止です。

千体堂から地蔵堂へ

拝観受付の柵内に入りるとすぐに右に進むように案内があります。正面にある大きな建物は千体地蔵堂です。内部を見ることは出来ませんが、地蔵堂に入りきれない小さな地蔵を安置しているそうです。

地蔵堂にあるのは黒地蔵の名で親しまれている木造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財)です。鎌倉時代中期に運慶の流れを汲む仏師によって造られたといわれています。

黒地蔵は「火焼(ひたき)地蔵」ともいわれ、地獄に落ちた人の苦しみを救うために地獄の役人に代わって火をたくので、いくら彩色しても一夜のうちに黒ずんでしまうという伝説があります。

黒地蔵縁日

毎年8月10日午前零時から行われる黒地蔵尊の縁日。黒地蔵尊が、亡くなった人に我々の思いを伝える縁日として行われる施餓鬼(せがき)法要(飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊にも飲食を施す法会)です。8月10日の午前零時から昼の12時まで行われ、鎌倉の夏を代表する宗教行事であり多くの参拝客でにぎわいます。

十三仏やぐらを見て先に進むと、旧内海家があります。旧内海家は、1706年(宝永3年)に建築されたもので、江戸時代中期の名主を務めた上級農家の家です。

管理人 sho
当時畳が使われた農家は少なかったようです。
昭和55年に市内手広から移築された建物だね!
こん吉

旧内海家の先に百八やぐらの案内板が見えますが、ここから先は立入禁止区域となっています。立入禁止区域には、鎌倉十井(じっせい)のひとつである棟立(むなたて)ノ井や、開山である智海心慧の開山塔、二世である大燈源智の大燈塔(ともに宝篋印塔・国指定重要文化財)があります。

棟立ノ井

弘法大師がこの地に滞在した時に井戸を掘り、ここから仏に奉納する水を汲んだという言い伝えがあります。

例年4月下旬日から5月の連休中覚園寺奥の院(歴代住職墓所)が公開されます。2023年の5月に初めて訪問しましたが絶対お勧めです。

覚園寺の中心 薬師堂

覚園寺の中心となる建物、薬師堂は、鎌倉市最大の茅葺の建物、そして、鎌倉有数の仏像の宝庫です。

覚園寺は1218年に開かれましたが、もとの建物は焼失し、1354年(文和3年)に足利尊氏らによって再建されました。唐様または禅宗様といわれる建物で、火燈型に枠どられた戸があるのも禅宗様に多い形式です。

薬師堂に入ります。天井には雲と龍の絵が描かれ、天井両脇の梁には足利尊氏の自署がしるされています。現在の薬師堂は、地震で破損された後に古材を使って再建されたもので、尊氏自署の仏殿虹梁(こうりょう)の銘文は修繕された後にも残されました。

薬師堂内正面には本尊の薬師三尊像(国指定重要文化財)、両側には木造十二神将が6体ずつ、右奥には鞘阿弥陀(さやあみだ)、左奥には伽藍神倚像(がらんしんいぞう)が並び、その様子はまさに壮観です。

倚像:「いぞう」台座や椅子に腰をかけ、両足を前に垂らした姿の仏像のこと。

  • 本堂中央正面:木造薬師如来坐像、木造日光菩薩像、木造月光菩薩像⇒国指定重要文化財
  • 本堂向かって右:木造十二神将立像(子・丑・寅・卯・辰・未)⇒国指定重要文化財
  • 本堂向かって左:木造十二神将立像(午・未・申・酉・戌・亥)⇒国指定重要文化財
  • 本堂向かって右奥:木造阿弥陀如来坐像「鞘阿弥陀」⇒元理智光寺(りちこうじ・廃寺)の本尊。土紋装飾あり
  • 本堂向かって左奥:伽藍神倚像:修利菩薩(しゅりぼさつ)、大権菩薩(だいげんぼさつ)、大帝菩薩(たいていぼさつ)
  • その他:開山智海心慧像(薬師三尊前)、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ・出入り口近く)

暫くの間仏像たちの姿を見ながら心を落ち着かせる贅沢な時間を味わいます。

「土紋」とは、中世の鎌倉のみで流行した仏像の装飾技法。浄光明寺の阿弥陀三尊像(国の重要文化財)が最古のものとされています。

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義時を救った戌神将の伝説

1219年(承久元年)1月27日、右大臣に任じられた源実朝は、拝賀の式のために鶴岡八幡宮に向かった。この式に剣をもって従っていた義時は、楼門をくぐると白い犬が目の前に現れ、にわかに気分が悪くなり、その役を中原(源(みなもとの))仲章(なかあきら)に譲り、自邸で休んでいた。その後実朝は甥の公暁(くぎょう/こうぎょう)に殺害され、中原仲章も運命を共しますが、義時は自邸で休んでいたために難を逃れました。

覚園寺の名木

古都鎌倉の面影をよく残しているといわれる覚園寺の境内には多くの木々が残されています。覚園寺訪問の際にはこうした木々を見るのも楽しみの一つとなります。

  • ツバキ「太郎庵」:英勝寺の「侘助」と並ぶ鎌倉を代表するツバキの名木。地蔵堂すぐ裏にある見上げるような巨木です。鎌倉市指定天然記念物
  • ナギ(梛):葉脈がまっすぐ縦に走っていて横に引き裂きにくいため、家庭円満や恋愛成就の木といわれています。
  • メタセコイア:薬師堂裏手の谷戸にそびえ立つ巨木。戦後の植樹によるもの。秋の黄葉は見事です。
  • イヌマキ(槙):薬師堂前。覚園寺創建当時以来のものといわれ樹齢およそ800年。かながわの名木百選。天然記念物

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源頼朝と北条政子が逢瀬を重ねたとされる熱海市の伊豆山神社。この神社の御神木は、ナギ(梛)の木であり、頼朝と政子の逢瀬の場であることや、その葉が裂けにくいことから、その葉を大切に持っていれば良縁が結ばれるとされています。
熱海市公式サイトから引用(一部改変)。

ご朱印

ご朱印は、何種類かあります。今回は限定ご朱印をいただくつもりでしたが、順番待ちの時間に庭の写真を撮影しているうちにご朱印をもらうのを忘れてしまいました。

鎌倉観光文化検定対策

鎌倉観光文化検定公式サイトに過去問の記載がある第11回(2017年度実施)以降の鎌倉観光文化検定(以下、「鎌倉検定」)2級および3級の出題の中から、覚園寺について、出題状況や傾向を検討します。※問題文は一部改変している場合があります。

2020年度・2021年度の鎌倉検定は中止となっていますのでご留意ください。

傾向と対策

出題傾向としては、3級では寺院名や覚園寺の特徴を問うもの、2級では「やぐら」に関するものや「誤りの選択肢」として出題されているものがあります。3級の問題は簡単ですね。

  • 北条義時に暗殺という不吉なできごとを予感させた動物(十二神将の化身)は何か。(第11回・3級)⇒正答:犬(戌)
  • 覚園寺では、毎年8月10日午前零時から開門している縁日があるが、これは何の縁日か。(第12回・3級)⇒正答:地蔵菩薩
  • 鎌倉市の天然記念物であり、名花として知られる覚園寺のツバキの名称は何か。(第13回・3級)⇒正答:太郎庵
  • 鎌倉最大の茅葺き屋根の薬師堂が有名な寺はどこか。(第13回・3級)⇒正答:覚園寺
  • 天園ハイキングコースは、建長寺から…(中略)…本道と覚園寺道に分かれる。覚園寺道には鎌倉随一のやぐら群〔  〕がある。(第12回・2級)⇒正答:百八やぐら
  • 次のうち覚園寺の境内にあるものはどれか。(第16回・3級)⇒正答:鎌倉最大の茅葺き屋根の薬師堂
  • 地獄に落ちた罪人を苦しみから救おうと、獄卒に代わって火を焚いたため黒くすすけたという黒地蔵を参拝する縁日が、毎年 8 月 10 日に行われる寺院はどこか。(第16回・3級)⇒正答:覚園寺

覚園寺のまとめ

  • 覚園寺は、「大塔宮」バス停から徒歩およそ10分のところにある真言宗の寺院
  • 境内は静寂そのものの自然が保たれ、古都鎌倉の面影をよく残す。
  • 重要文化財の本尊薬師三尊像や「黒地蔵尊」を始め鎌倉有数の仏像の宝庫
  • 8月10日に行われる黒地蔵縁日は鎌倉の夏を代表する宗教行事で多くの参拝者で賑わう。
  • 日本遺産「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」の構成資産

いかがでしたでしょうか。覚園寺の概要についてひととおりまとめました。お時間があれば、古都鎌倉の雰囲気をよく残すこの寺院にお出掛けされてはいかがでしょうか。

北条義時は、死後源頼朝が眠る法華堂近くに葬られたといわれ、発掘調査も行われています。よろしければ以下のリンクを参照してください。

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交通アクセス


バス停大塔宮から徒歩およそ10分 ※覚園寺の駐車場はありますが道路が狭いため通行困難です(鎌倉宮の隣りにも駐車場があります)。

連絡先 鷲峰山覚園寺
鎌倉市二階堂421
TEL:0467-22-1195
公式サイト 鷲峰山覚園寺公式サイト

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参考文献

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-神社・仏閣, 鎌倉市
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